3人のプロフィール、
そして3人の関係について


ショージ・サダオ
1954年、コーネル大学建築科を卒業。在学中にフラーと知り合い、イサム・ノグチに紹介します。'54年からフラーの協力者となり、'66年から共同事務所を開設。'67年、モントリオール万博アメリカ館<ジオデジック・ドーム>をフラーとともに制作し、一方で60年代、イサム・ノグチの庭園プロジェクトに協力。また、ノグチの<あかり>作品をはじめ、多数の制作を支援し、'71〜'88年、ノグチの建築作品制作上のパートナーに。その間、ニューヨークの「イサム・ノグチ庭園美術館」開設を主導。'89年から2002年までニューヨーク・イサム・ノグチ財団専務理事、現在は同顧問。自らのキュレーションにより、ノグチとフラーの交友を総括する展覧会「ベスト・オブ・フレンズ――フラーとノグチ」(2006. 5.19ー10.15 ノグチ・ミュージアム)を開催しています。

リチャード・バックミンスター・フラー(1895ー1983)
アメリカの発明家、デザイナー、構造設計家、建築家です。ハーヴァード大学中退。最小エネルギーで最大効果を発揮するダイマキシオンという造語を生み出し、実例としては、未来的な量産住宅<ダイマキシオン・ハウス>や、省エネルギー環境を意識したハイブリッド交通手段<ダイマキシオン三輪自動車>が有名です。他方、理論家、思想家として、環境・資源にかかわる諸問題を提起し、その思想は現代に至るまで大きな影響を与えています。

イサム・ノグチ(1904ー88)
アメリカの彫刻家。詩人で英文学者の野口米次郎とアメリカ人の母、レオニー・ギルモアの間に生まれたことは、みなさんご存じでしょう。最初、コロンビア大学医学部準備コースで1年間、医学を学びますが、母レオニーの希望により、彫刻家の道へ。1927年、グッゲンハイムのフェローシップでパリに留学し、ブランクーシに師事。東洋的感覚と西洋的感覚の融合したインターナショナルな特性のもと、彫刻にとどまらずモニュメント、造園、家具デザインと多岐にわたる活動を展開しました。ちなみに慶應大学には、彫刻<無>と建築環境デザイン<ノグチ・ルーム>を残していますが、南館3階の屋上テラス部に設置された彫刻<無>は、現在も見学することができます。

ヨネ・ノグチのスライド

レオニーのスライド


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